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勝山城 (甲斐国都留郡) : ウィキペディア日本語版
勝山城 (甲斐国都留郡)[かつやまじょう]

勝山城(かつやまじょう)は、山梨県都留市川棚に存在した日本の城。形式は山城戦国時代には郡内領主小山田氏の居館谷村館詰城で、豊臣系大名時代に近世城郭として整備される。江戸時代には谷村藩庁である谷村城属城で、絵図に拠れば二本の内橋によって連結されていた。現在では城山公園として整備されており、都留市二十一秀峰にも選ばれている。
== 立地と歴史的景観 ==
所在する都留市川棚は県東部の山間地である郡内地方に位置し、都留市街は富士北麓の山中湖から発し丹沢山系や御坂山系の支流を集めて北流し、大月市猿橋へ至る桂川(相模川)流域の平坦地に展開している。
勝山城は市街北西に位置し、富士山から流出した溶岩台地(猿橋溶岩)が桂川によって侵食された丘陵地帯である「城山」に立地する。城山は花崗岩質の独立丘陵で、標高は571メートル・比高100メートル、山頂からは富士山を背景に市街を望む。
勝山城の東側には桂川と平行して甲州街道から分岐し吉田(富士吉田市)へ至る富士道が南北に通過し、郡内領主・武田家臣小山田氏の居館で近世には谷村藩の藩庁として郡内支配の拠点となった谷村館(谷村城)が存在する。
西側にも平坦地と南北に通じる山道が存在するが、現在は中央自動車道(富士吉田線)のルートとなり城山の一部は破壊を受けている。また、富士道を北上した大月市域には小山田氏の旧居館・詰城であった中津森館(都留市金井)や岩殿城が位置する。
富士山の火山活動は縄文時代前期には活発であったが縄文中期には沈静化し、谷村においては縄文中期段階からの定住痕跡が見られる。古代の律令制下においては都留郡に比定され、都留市古川渡や大月市大月は都留郡家所在地の候補地となっている。
中世における甲斐国では甲府盆地甲斐源氏の一族が各地へ定着したのに対し、郡内地方では古郡氏ら非甲斐源氏系の氏族が出現する。桂川下流地域は古郡郷に含まれていたと考えられており、古郡郷には波加利荘の新荘が立荘されている。
郡内は歴史的に甲府盆地のほか地理的に隣接する相模国とも深い関係にあり、戦国期には武田家臣となった小山田氏が谷村に居館を構え、武田氏・後北条氏をはじめ甲府盆地や対外勢力との政治・外交状況の変化によって左右された。また、富士道は富士道者が通過する信仰の道としても機能している。
近世には徳川氏や豊臣系大名と領主が変遷し、特に豊臣政権下では有力大名の徳川家康が関東に移封されたため、甲斐国や谷村・勝山城は豊臣系大名と徳川領国の最前線として重要視された。
江戸時代には甲斐国が徳川領や幕府直轄領となり、谷村や勝山城の位置付けも変化する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「勝山城 (甲斐国都留郡)」の詳細全文を読む



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